その吉日、いつからある?

一粒万倍日は江戸の公式の暦から外されていた。明治に禁止された暦注と、吉日・凶日の由来の一覧

カレンダーや動画で紹介される吉日・凶日には、千年以上前から暦に書かれてきたものと、近年広まったものが混ざっています。どれも同じように「開運日」として並ぶので、見ただけでは区別がつきません。

この記事では、吉日カレンダーに出てくる吉日・凶日を由来で分けて一覧にし、明治政府が吉凶の暦注を禁止した話、意外な経歴を持つ吉日の話をまとめました。

この記事で分かること:

  • 吉日・凶日の由来の一覧(昔の暦にあったもの/載ったり外れたりしたもの/縁日から来たもの/最近広まったもの)
  • 明治政府が吉凶の暦注を禁止したことと、それでも出回った「お化け暦」
  • 一粒万倍日は1685年に公式の暦から外され、明治以降に復活したこと
  • 三隣亡は江戸時代には建築の吉日だったこと
  • 新しい吉日を見分ける3つの目安

吉日・凶日を由来で分けると4つになる

1. 江戸時代以前から暦に載っていたもの

奈良時代に朝廷が作った暦(具注暦)には、すでに日ごとの吉凶が書き込まれていました。そのうち暦の最下段に書かれたものを暦注下段と呼びます。

吉日・凶日昔の暦での書かれ方・由来
天赦日暦注下段に「天しや」。天赦日にだけ「万よし」と注記された最上の吉日
大明日暦注下段に「大みやう」。唐の大明暦で初めて登場した暦注
天恩日・母倉日・月徳日暦注下段の吉日。母倉日は「七箇の善日」のひとつ
神吉日暦注下段に「神よし」。日本独自の暦注
鬼宿日暦注下段の吉日。二十八宿の鬼宿の日
受死日(黒日)・十死日暦注下段に「●」「十し」。最も重い凶日
十二直(建・除・満…破…)具注暦の上段に書かれていた

2. 暦に載ったり外れたりしたもの

吉日・凶日経歴
一粒万倍日日本独自。宣明暦の時代の暦には載っていたが、1685年の貞享暦で外れ、明治以降の民間の暦で復活
不成就日幕府公認の暦には載らず、許可なく出された民間の暦にだけ載っていた
三隣亡江戸時代に「三輪宝」として現れた建築の吉日。いまは建築の凶日
六曜(大安・仏滅など)中国の六壬から変化したとされ、伝来は室町時代とも。明治以降に重視され、戦後に広まった

3. 縁日・信仰から来たもの(暦注ではない)

吉日由来
寅の日聖徳太子が寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に毘沙門天を感得した、という信貴山朝護孫子寺の伝承
巳の日・己巳の日弁才天の縁日。60日に一度の己巳の日は特に縁起が良いとされる
甲子の日子(ねずみ)を大黒天の使いとして、大黒天を祀る甲子待・甲子祭
庚申平安時代に伝わった庚申信仰(庚申待)

4. 中国・台湾の暦書から、近年広まったもの

吉日・凶日由来
麒麟日・鳳凰日台湾の暦(農民暦)などにある、季節と二十八宿で決まる吉日。日本の暦注下段には無い
流財日明代の『臞仙肘後經』の凶日。清の公式な暦書『欽定協紀辨方書』も採っていない
月破大耗清の『欽定協紀辨方書』の凶日。日本の暦では十二直の「破」として同じ日が載っていた
辰の日龍神にゆかりのある日として紹介される。暦注として暦に載っていた日ではない

明治政府は、吉凶の暦注を禁止した

1872年(明治5年)、政府は旧暦をやめて太陽暦に切り替えることを決めました。このとき、日の吉凶を示す暦注は迷信として公式の暦から外されます。

同じ年の11月24日に出された太政官布告には、こうあります。

今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り、略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候

民間で出す簡単な暦(略暦)にも、日の善し悪しや、中段・下段に書かれていた「根拠のない説」を載せてはならない、という命令です。尋常小学校の教科書にも「迷信を信じるな」と書かれました。政府が発行する暦(本暦・略本暦)からは暦注が消え、1910年(明治43年)以降は旧暦の日付を並べて書くこともやめています。

それでも暦注は消えなかった ― お化け暦

暦注をなくされた人々は納得しませんでした。1882年(明治15年)ごろから、暦注をたっぷり載せた非公式の暦が出回り始めます。これがお化け暦です。

  • 摘発を逃れるために発行所を毎年変え、発行人は偽名。正体がつかめないことから「お化け」と呼ばれた
  • 見た目は公式の略本暦そっくりで、公式の暦に貼られた証紙をまねたものまであった
  • 持っているだけで連行され、入手先を問われて始末書を書かされた、とも言われる
  • 一枚刷りの暦や、明治の末に登場した日めくりは取り締まりの対象外だったため、そちらにも広まった

厳しい取り締まりと戦時中の紙不足で、1941年(昭和16年)以降は激減します。第二次世界大戦が終わって暦の発行が自由になると、「お化け暦」という呼び名も消えました。いま各地で売られている運勢暦や開運暦は、お化け暦の流れをくむものとされます。

ただし、お化け暦は暦の専門家が監修していたわけではないので、下段の吉凶が本来の決め方と合っていないことも少なくなかったようです。

六曜は、禁止されたことでかえって広まった

いま最もよく見る暦注である六曜(大安・仏滅など)は、中国の「六壬」という占いから変化したものと考えられています。日本に入ったのは室町時代とも言われますが、はっきりしません。

明治の改暦でほかの暦注が追放されるなか、六曜は旧暦と一緒に公式の略本暦に付く形で残りました。暦注の追放を経て、六曜はかえって重視されるようになったとも言われます。戦後に暦の統制がなくなると、六曜入りのカレンダーが一般に広まりました。

なお、浄土真宗は「日の吉凶を選ぶことはよくない」という親鸞の教えから、六曜をはじめとする日の吉凶を用いない立場をとっています。

一粒万倍日は、江戸の公式の暦から外されていた

いま最も人気のある吉日のひとつ、一粒万倍日には意外な経歴があります。Wikipedia「一粒万倍日」の項によると、次のとおりです。

  • 日本独自の吉日で、選日の本家である中国の暦書(萬年曆や通書)には存在しない
  • 平安時代から江戸時代前期まで使われた宣明暦の時代には暦に載っていたが、地方の暦によっては載っていないものもあった
  • 1685年の貞享暦から、暦注として外された
  • 明治の改暦で新暦が広まってから、民間の暦に載るようになった

同じ項には、一粒万倍日の日取りには「卯の月に酉の日」のように、本来ぶつかり合う(冲の)組み合わせが入っている、という指摘もあります。実際に計算すると、卯の月(3月上旬〜4月上旬)の酉の日は毎年かならず一粒万倍日で、同時に中国の暦の凶日「月破大耗」にもあたります。詳しくは月破大耗の記事に書きました。

三隣亡は、もともと吉日だった

建築の凶日として知られる三隣亡にも、正反対の過去があります。Wikipedia「三隣亡」の項によると、江戸時代より前の暦注の解説書には書かれておらず、江戸時代になってから見られるようになったもので、そのころは「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記された建築の吉日でした。

不成就日も、幕府が認めた暦には載らず、許可なく出された民間の暦にだけ載っていた日です。いま「昔からの凶日」として扱われている日にも、こうした経歴があります。

新しい吉日を見分ける3つの目安

新しく広まった吉日だから意味がない、ということではありません。日付を決めるきっかけとして使うなら、古さは関係ないからです。ただ、紹介のされ方に振り回されないために、次の3つを確かめると落ち着いて使えます。

  1. 決まり方が公開されているか — 麒麟日・鳳凰日のように、規則が分かれば何年先でも計算できます。日付だけが「専門家が選んで発表」と紹介されている場合は、決まり方を探してみてください
  2. 出典の書名が示されているか — 流財日の『臞仙肘後經』、月破大耗の『欽定協紀辨方書』のように、元の書物までたどれるものは、何を避けるとされているかを原文で確かめられます
  3. 昔の暦に載っていたか — 暦注下段にあった日か、縁日から来た日か、最近の呼び方かで、言い伝えの厚みが違います

このサイトの吉日カレンダーは、どの吉日・凶日も決まり方を書いたうえで計算しています。用語の決まり方は暦注の用語一覧にまとめています。

まとめ

  • 天赦日・大明日・受死日などは、江戸時代以前から暦の下段に書かれてきた日
  • 一粒万倍日は日本独自の吉日で、1685年の貞享暦で公式の暦から外れ、明治以降の民間の暦で復活した
  • 三隣亡は江戸時代には「三輪宝」と書かれた建築の吉日だった
  • 寅の日・巳の日・甲子の日は、暦注ではなく縁日・信仰から来た日
  • 麒麟日・鳳凰日・流財日・月破大耗は中国・台湾の暦書から、近年広まった
  • 明治政府は吉凶の暦注を迷信として禁止したが、「お化け暦」が出回り、六曜はかえって広まった

吉日カレンダーで決まり方を見る

よくある質問

一粒万倍日はいつからある吉日ですか?

一粒万倍日は日本独自の吉日で、中国の暦書には見られません。平安時代から江戸時代前期の宣明暦の時代の暦には載っていましたが、1685年の貞享暦から暦注として外され、明治の改暦後に民間の暦に載るようになりました。

明治時代に吉日・凶日が禁止されたのは本当ですか?

本当です。1872年(明治5年)の改暦にあたって、政府は日の吉凶などの暦注を迷信として公式の暦から外し、民間の暦に載せることも禁じました。それでも暦注を載せた非公式の暦(お化け暦)が出回り、第二次世界大戦後に暦の発行が自由になるまで続きました。

お化け暦とは何ですか?

明治から昭和の戦前にかけて、政府の許可なく発行された暦注入りの暦です。摘発を逃れるために発行所を毎年変え、発行人も偽名だったことから、正体がつかめない「お化け」と呼ばれました。いまの運勢暦や開運暦は、お化け暦の流れをくむものとされます。

三隣亡はもともと吉日だったのですか?

江戸時代の暦では「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記された建築の吉日でした。いまは建築を避ける凶日とされていて、意味が正反対になっています。

麒麟日や鳳凰日は昔の日本の暦にありましたか?

日本の暦の下段に書かれた吉日・凶日(暦注下段)の一覧には入っていません。台湾の暦(農民暦)などにある、季節と二十八宿で決まる吉日で、日本では近年SNSや動画で金運の日として広まりました。

参考にしたもの

吉日との付き合い方

正直に書くと、吉日や凶日と実際の結果に科学的な関係は確かめられていません。明治政府が迷信と呼んだのも、その意味では間違っていません。

それでも、千年以上も暦に書かれ続け、禁止されても消えなかったのは、日付を決める後押しが人にとって役に立ってきたからだと思います。由来を知ったうえで、日付を決める道具として気楽に使ってください。

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